YKK株式会社代表社長 吉田忠裕ファスナーで有名なYKKの世界シェアは、本数で約25%、売り上げで約45%を誇る。その勢いは中国においても健在で、トップレベルのシェアを獲得している。また、中国13社、合計9000人の従業員を抱え、幹部の半数は中国人であり、人材育成には特に力を入れているという。
世界トップシェアを維持し、今なお進化を遂げるYKKの秘密は一体どこにあるのか?吉田社長自身の考えや、創業社長である吉田忠雄氏についてのエピソードにスポットを当てつつ探っていく。そこで社長の口から出てきたのは「吉田忠雄がビジネスを学んだのは中国上海である」という言葉だった。
中国進出は一種の里帰り
――社長は何代目ですか?
2代目です。吉田忠雄が、1934年から亡くなる93年まで社長をしておりました。93年から私が引き継いでいます。私は社長業というのはフルに走ると、15年ぐらいが1世代ではないかと思っていますが、創業社長である吉田忠雄は、半世紀ぐらい自分1人で走りました。私は15年と少しになります。
――YKKがファスニング事業で世界のトップに立った理由は何だと思われますか?
ファスナーというものはとても小さく、洋服・鞄のコストの1%から3%ほどしか占めていない部品です。ですが、それが壊れると商品そのものが使えなくなってしまう。そういう意味では、機能・性能的に大事な部品だといえます。
それから、デザインなども大事です。ファスナーが5%、10%安くても、壊れてしまうと何にもならないので、しっかりした機能・性能・デザインがあるファスナーが良いといわれるお客様はかなりいらっしゃいます。それに対して我々はその答えを出さなければなりません。そのことを一生懸命やってきた結果なのだろうと思うのです。私は「One to Oneマーケティング」という考え方が好きなのですが、1社ごとのお客様のご要望に対して、誠心誠意ファスナーを作るということをますます続けていかなければならないと思っています。ファスナーはみな同じではないかと思われるかも知れませんが、商品開発は重要で、実にたくさんの色々な細かいテーマがあり、開発は永遠と続くのです。
上海でビジネスを学んだ創業者・吉田忠雄
――中国進出のきっかけと発展の経緯をお聞かせください。
進出の許可は92年にいただき、それから工場を建設して、94年に上海工場のオープニングがありました。その工場のオープニングに行ったのが私です。最初の工場のオープニングということで、報道関係の方々が多く来ていらっしゃいました。ひと通りご説明させていただいた後、私が「質問はありますか」と聞いたところ、「YKKは非常に有名です。どこへ行ってもYKKのファスナーがついています」と言われました。「ちょっと待ってください。この工場が最初の工場です。あのYKKは違います」と、大変失礼ですが申し上げました。中国進出の理由には、本物のYKKのファスナーをここで作って提供しようという意味もあったのです。進出しなければ、あまりにも偽物が多すぎて問題が起こります。
その当時、中国国内だけならまだしも、多量に輸出されていましたので、YKKの偽物が氾濫するのを止めなければいけないという意味もありました。我々の作った本物のYKKのファスナーを提供していくと同時に、偽物も減らしていくことが目的でもありました。その時、真剣に取り組んでいただき、大変ご協力いただいたのが、前の中国副首相である呉儀氏なのです。ご尽力に大変感謝しておりますし、結果的に「中国馳名(著名)商標」もいただきました。
実は吉田忠雄は、22歳から25歳の間上海にいました。日本の商社に勤めており、チャイナ(磁器)を輸入するためでした。ですから、吉田忠雄がビジネスを学んだのは中国上海だと思っています。進出時、我々にとって唯一の中国経験者は吉田忠雄でした。私は94年、中国工場のオープニングで上海に行った時に、吉田忠雄が住んでいたところを見に行きました。ある意味ではルーツであり、吉田忠雄がビジネスを勉強し国際化を思考した場所です。ですので、中国へ行くということは、故郷へ帰ることのような気持ちが一部あるのです。
2002年の4月に頭取になって最初に訪問した国は、アメリカではなく中国です。大連から入りまして、北京・上海・深セン)、そして香港と1週間程度のスケジュールで回りました。
その年の7月には、日本の銀行では初めて本店に中国営業推進部という専門の部署を作ったのです。日本の企業で中国進出を考えているお取引先に、具体的な投資の手続きや戦略についてアドバイスする部署です。日本の企業が中国へ進出する際には、アメリカやヨーロッパなどとはまた異なる専門的な知識やノウハウが必要になります。中国営業推進部には現在40名ほど人員を配置しており、お取引先の様々なニーズにお応えすると共に、ビジネスにも結び付けています。
そういう意味では、私が頭取となってから、すぐに中国との関係を重視し体制を強化したことは正解だったと思っています。
――2005年6月に商標「YKK」が日本企業で初の「中国馳名商標」に認定されました。その理由は?
元々YKKの偽物がたくさんあったということと、私どものYKKという商品が、世界展開しているブランドだと認められていたということが背景にあります。中国でいよいよ生産が始まり、世界へ出て行く時に、偽物のYKKが話題になっては国としても恥ずかしい、という動きになったのだと思います。中国政府も商標に対してはきちんと対応するということを示さなければならなかったのでしょう。私どもは訴訟もしておりましたし、政府による偽物撲滅の象徴的なアイテムとしてYKKが位置づけられていたのだと思います。そして、その延長で「中国馳名商標」をいただけたのだと思います。何も問題になっていないところは申請してもすぐにはいただけないでしょう。まだ完全になくなったわけではありませんが、中国政府にはとても感謝しております。日本で日中の色々な会合が開かれ、商標の話になると、私に日本側の代表として話をして欲しいとお誘いが来ます。
上場しない理由「株は事業の参加証」
――上場しない理由「株は事業の参加証」
日本にも、自分で会社を起こし上場させることこそが成功の証だといわれる時代がありました。それ
に、上場することによって安いコストで資金が集められるので、投資などがしやすくなります。上場にはステイタスと資金調達の二つの意味があるのです。ですが吉田忠雄は、資金調達はしっかりした経営計画を立てれば金融機関など、貸してくれるところはあると話しておりました。もちろん金利分コストは余計にかかりますが、経営する以上、金利分程度は稼ぎ出さなければならない、という考えだったのです。また、一番嫌ったのは、上場することで事業に参加していない株主が入ってくることでした。一緒に苦労してこの会社を作り上げていく人こそが株主であって欲しい。株というのは事業の参加証だと話しておりました。株式は、お金を持っている人が買うのではない、一緒に事業に参加をする人が持つべきであるという考えなのです。出身や豊かさなどとは関係なく、一緒に仕事をした中で株主になっていってくれるのが嬉しいということです。外部の人が、業績の良し悪しで株を売り買いするというのがあまり好きではありませんでした。ただ今の段階では、日本でだからこそできることであり、海外はこれからだと思います。中国のある市の方々がいらっしゃった時、市のナンバー2の方に、「中国のYKKですぐにやってくれないか」というお話をいただきました。
「いずれはそうしたいと思っていますが、すぐにはできません」とお答えしました。中国の方の仕事ぶりは本当にアグレッシブで素晴しいのですが、ある意味、激しい資本主義的な社会であると思います。一方で、我々は資本主義でありながら、かなりマイルドな社会主義的とも言える社会の中にいたので、だからこそ、これができたのです。というわけで、ゆくゆくはやっていきたいけれども、時間をかけながらやっていくしないと考えています。
中国13社、幹部の半数は中国人
――今、中国のYKKで、特に力を入れていることは何ですか?
今はとにかく中国人の幹部を作ることに力を入れています。何年か前、私が現地の会議に出席した時、幹部が全員日本人だったので、「なぜここに中国人の人がいないのか」と怒りました。そして、数年以内に中国人の幹部が少なくとも半分以上になるように努力をしてくれと言ったのです。
現在では、中国13社の合計9000人ほどいる従業員で、230人ほどの幹部がいますが、その中の半分、110数人は中国人です。ですが、意思決定ができるトップマネージャーになるまでには、もうちょっと時間がかかるでしょう。でも必ずそうなり、中国人のトップが出てくると思います。現在、YKKグループは世界に117社があり、事業エリアを北中米・南米・EMEA(ヨーロッパ・中東・アフリカをカバーするエリア)・東アジア・ASAO(アセアン・南アジア・オセアニアをカバーするエリア)、そして日本の6極にブロックを分けてやっています。6極のトップのうち、日本は私ですが、アメリカはアメリカ人です。
どういう人かというと、年齢的には私と近く私が入ってから何年か後に入社しました。その後10年ぐらい経った頃に、吉田忠雄がそのアメリカ人を社長にしたいと言い出したのです。まだ若いけれども、能力も人格も素晴しいし、社長にしたいと。みなの賛成も得たので、本人にその話をしたところ、「それは困る」という返事で、「私はみんなと一緒に一生懸命取り組み、チームとして成長している。まだ教わりながらチームとして成長しているのに、私だけ引き抜かれるとチームが壊れる。今は、私を社長にするなどと言わないで欲しい」と言ったのです。珍しいアメリカ人だと思いましたが、そのことで信頼はかなり大きくなりました。
その後、彼が北中米全部を統括してするリーダーとなったのです。極のトップとなる人間は、ある能力が非常に高いというだけでは駄目なのです。人から信頼され、チームとしてやっていける人間が求められます。そういう意味では、多くの中国人のみなさんに幹部になっていただくことが重要だと思います。中国人の方は大変優秀で、やる気もあり向上心があるので、非常にいいと思います。
――中国での人材育成に関して、特にどのような取り組みをしていますか?
1年に3~4回中国に行きます。社長車座集会というのがありまして、私を囲んでみんなで集まって議論します。この間も上海で、15、16人ほど集まり開催しました。私が中国人の中に入り自由に話をします。とてもストレートな質問が次々に出てきます。「こういうことがあった時はどうすればいいか」「こういう日本人の幹部がいるがおかしくないか」など色々です。私はストレートに答えています。フェアに話を聞くし、フェアに話をするつもりでいます。フェアというのは私のモットーであり、フェアであることを非常に大事にしています。
仕事に問題があれば、少なくとも私ならこうするよということを伝えるのです。そうすると、なるほどと分かってもらえます。質問した本人は、自分の上司と吉田の考えは多少違うと思うかも知れない。でも、そこに似た部分があれば、上司はきっとこういう考えで、そう言ったのではないかということがわかるのです。
そういう蓄積の中で立派なリーダーに成長するのだと思います。仕事にあたっては、その時の対応・判断がYKKグループとして適切かどうかということが問われます。そういったことを通じて、信用や信頼が生まれれば中国人がいつトップになってもいいと思っているのです。
――中国に進出後、一番苦労したことはなんですか?
進出後、いくつも問題がありました。いわばコンプライアンス上の問題も起こりましたし、あるいは日本人も含めて、してはいけないことを従業員がしてしまうということもありました。そういう意味で会社は、規則に従い運営する「合規経営(注:YKKの造語で「コンプライアンス」に対する中国語訳)」を行ない、1人1人がコンプライアンスの意識をもち、法令だけでなく、社会的要請もよく理解して欲しい。よく理解した上で正しく判断し、行動しましょう、ということを言っています。
中には、みんなと一緒に育っていくということをもどかしく感じる中国の方もいます。焦りがあるのです。うちの会社でも、我慢してみんなをひっぱっていってくれればトップになれるのに、という優秀な人は何人もいましたが、なかなか思うようにはなりませんでした。それが難しかったことです。もう一つは、最初に直面した偽物が絶えないということですが、政府が一生懸命になってくださっていることで我々は救われているし、感謝もしています。ですから、これからも継続して努力をしていくしかないと思っています。
また、同業者間の競争はどこの国でもあります。中国の同業者の品質も非常に良くなってきているので、いずれYKKを追い越す会社が出てくるかも知れません。今までは、中国の市場は加工輸出がメインで、欧米や日本のハイエンド向けの商品を作っていましたが、リーマンショック以来、輸出の伸びが悪くなり、中国の目が内需に向かっています。そうなると加工輸出で求められるレベルの商品ではなく、内需向けレベルの商品であるということが大事になってきます。中国の内需に移行することにより、違ったレベルのファスナーが要求されるのではないかと思っています。それに対して、我々にどれくらいの競争力があるかというのは、新しい時代がはじまったばかりですのでまだわかっていません。
――世界シェアはどれくらいですか?
ファスナーの世界シェアは、本数でいうと大体25%ほど、金額では45%程度です。また、中国の中でのシェアは本数で13%ぐらいです。中国にはファスナーメーカーが2000社ほどありますので、1社当たりだとナンバー1かも知れません。
しかし今後我々が売り上げを伸ばすには、今変わってきている中国市場で、我々がどういう商品を提供できるか、あるいは製造方法・サービスなどを提供できるかということが重要になってきます。
続きは本誌をご覧ください。
インタビュアー :『月刊中国NEWS』 編集長 張一帆
『月刊中国NEWS』 09年11月号掲載
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