日本最大の通信社として国際的にも評価のある共同通信社。その同社が海外でもっとも力を入れる国、それが中国だ。中国はアジアの同胞であり、同じ漢字を使う文化を持つ。それゆえに今よりいっそう相互理解を促し、協力し合わなければならない。
中国に関しは欧米の目よりも、隣国である日本の目のほうがより読者に受け入れられるだろうと話す石川社長。その石川社長に中国での取材活動での苦労や意義、また今後の通信社のあり方などをずばりうかがった。
北京五輪から考える東京五輪
――北京オリンピックはどういうイメージでしたか?
開会式を見に行きました。日本でテレビを見ていた人は「長かった」と言いますが、現場ではそのようには感じませんでした。特に巻物、それに漢字が登場すると同じ漢字の文化なので日本人には良くわかるのです。欧米の人にはわからないかもしれませんが。あれだけの大掛かりな準備をして失敗しないというのは他の国ではマネできないでしょう。
――東京はオリンピックの開会地として立候補していますがそのことはどう思われますか?
必要があります。今、IOC(国際オリンピック委員会)が重視するのは国民の支持率で、70%以上の支持が得られていないと、そのオリンピックは国民に望まれているとはいえないのだという尺度を持っています。環境問題など様々な問題が起こった時に国民が協力しなければなりませんから、支持率が重視されるのです。日本はその支持率がいまは60%しかありません。なぜどうしても70%いかないかというと、東京はすでに1回オリンピックを開催しているし、北京の8年後にどうしてまたアジアでしなければいけないのかという部分があります。どうしてもう1度東京で開かなければならないのかを説明し、日本ならびに世界の人々に理解してもらうのがとても大事です。
上海万博の不安は金融危機の影響
――来年は上海万博ですが、石川社長も実際に開催予定地を見に行かれたということで、その感想をうかがえればと思います。
去年上海市に森ビルが101階建ての「金融環球中心」という国際金融センターを建設し、そのオープニングパーティーが11月に開かれ、私も招待されそのパーティーに参加しました。その金融センターの一番上にホテルがあり、そこから上海万博の予定地が見えました。黄浦河の両岸に予定地が広がり、これを橋と船とトンネルでつなげるという非常に壮大な構想で、それが非常に印象的でした。あれだけの会場予定地を確保するのは大変です。中国がいかに国家行事として力を入れているかがよくわかりました。
日本も状況が似ていたのですが、まず東京オリンピックがありそのあとで大阪万博を開催したのです。この二つが相乗効果となり、社会的にも経済的にも多く発展しました。中国も北京オリンピックを終えその2年後に上海万博を開くということで、2つの大きなイベントの効果で十分成功を収めるだろうと感じました。ただ少し気になるのが、アメリカ発の金融危機と世界同時不況です。私が行った森ビルもオフィスの枠を埋めるのに大変苦労をしているようでした。これだけの不況になると外資も引き上げるでしょうし、それに依存している中国の企業も影響を受けるでしょうから、2010年にその状況が改善されていればいいのですが、そうでなければ万博の開催に少し影響があるかもしれません。
――万博は成功すると思いますか?
万博が成功したかどうかという尺度は色々あると思いますが、私がもっとも重視するのは「どれだけ多くの人に見てもらったか」ということなのです。万博の会場の中では、人類共通の文化を確認するということだけでなく、異文化を知ってそれを尊重するということを学ぶのです。今世界は宗教の違いを乗り越えることができずに、人種・民族間で深刻な対立が生じています。こういった時に必要なのが、世界には色々な国・色々な民族や文化があり、その違いを認め合い尊重することだと思うのです。それができるのが万博です。ですから、会期中にできるだけ多くの人に見ていただきたいと思っていますし、入場者が多ければ多いほど成功したといえるだろうと思っています。
もう一つ言えば、2005年に名古屋市で、21世紀初めての万国博覧会である「愛・地球博」が開かれました。これは開幕の半年前になっても盛り上がらず、1500万人の動員目標に対して、半分も入るのかと言われたほどです。それが開幕と同時に人気を呼び、結果的に最終入場者は2200万人を超えたのです。ですから、中国国内で上海万博の魅力をアピールすることができれば、中国の多くの人々が万博に足を運び、大成功に終わるだろうと思っています。
中国に強い共同通信社
――共同通信社は北京に中国総局、その他上海・香港・台北に支局がありますが中国に力を入れる理由はなんですか?
中国は今、世界の歴史上でも珍しいといわれるほどのスピードで発展しています。その強力なパワーを背景に経済的にも政治的にも国際社会での存在感を非常に強くしています。ですから、そのお隣にいる日本の通信社としては、中国の動向というのは最大の関心事です。
また、同じことを報道するにも、欧米人の目で見たものを伝えるより、中国と同じアジア人の目で見たものを伝えたほうがニュースというものは読者に受け入れやすいでしょう。ですから、大いに頑張りたいと考えています。
――08年は中国関係のニュースが日本で数多く報道されましたが、四川大地震や北京五輪など08年の中国関係の報道で特に記憶に残っていることは何ですか?
本当に去年は中国に絡んだ重要ニュースの多い年でした。その中でも特にインパクトが大きかったのは四川大地震と北京オリンピックです。
日本も地震が多い国ですから、四川大地震に対して大きな関心を持ちました。他人事ではないということです。その四川省の状況を知りたいという日本の読者のニーズに応え、北京・上海・香港の駐在記者を総動員した他に、東京からも記者を出張させたのです。その活動の中で、パンダを救済するという場面があったのですが、共同の記者はそれを携帯電話の動画機能で撮影し日本に送り、それが報道され大変話題になりました。地震そのものは大変な悲劇でしたが、共同通信社の報道として現地の状況を早く正確に伝えることができ、日中の距離感を縮めることができたのではないかと思っています。
北京オリンピックに関していえば、私は9回オリンピックの取材をしていますが、今までこれほど完璧にオリンピックを運営できた大会はありません。特に我々にとって重要なプレスセンターの設備とサービスには大変感心しました。中国は閉鎖的でサービスが悪いという印象を我々報道陣は持っていたのですが、今度のオリンピックで「よくここまで変わったとものだ」と感じました。
おそらく50年後振り返った時に、大国・中国が真の意味で国際的なリーダーの一員になる大きなターニングポイントが北京オリンピックだったと言われるでしょう。北京オリンピックは大きな意義があったと思います。
インタビュアー:『月刊中国NEWS』 編集長 張一帆
『月刊中国NEWS』 09年3月号掲載
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