日本の国際線の基幹空港として発展を続ける成田国際空港。「遠い」「高い」「狭い」という欠点を克服した成田空港は、中国の空港サービスをどう考えるのか?また日中関係はどうあるべきなのか?その答えを森中社長にうかがった。さらには、羽田空港の国際線乗り入れをどう考えるかについてもずばり聞いた。
成田に空港建設
――成田に空港を建設する計画ができ、実際に建設され今に至るまでには色々な出来事があったかと思いますが?
羽田空港が手狭になりまして、空港を千葉県に建設することになりました。最初は富里という成田の隣
の町を国は考えていたのですが、建設に反対する運動があって、現在の地に決定されました。
今から20年ほど前から、騒音等の問題でもっと地域の人の意見を聞いて、対策をやろうということになり、それで地域とのコミュニケーションを始め、12、13年ほど前からいい関係で共に生きましょうということで「共生」という言葉を掲げ、成田空港は環境対策をはじめとする地域共生に努力してきました。その結果地域とも大部関係が良くなっています。現在、空港では5万数千人の方が働いているのですが、千葉県の方がその中で85%ほどを占めています。その中で成田市などの周辺地域の人が9割近くになっておりまして、地域と一体となった成田空港というイメージづくりをしています。
成田空港は内陸空港で、関西空港や中部空港のような海上空港ではないので、騒音エリアが空港周辺地域に及んでしまうため、夜11時から朝の6時までの7時間だけは飛行機を発着させないというふうにしています。
――日中間の空港を通した交流はいかがですか?
中国と日本の関係はすごくいいものになっています。例えば10年ぐらい前と比べますと、中国から日本へやってくるお客様は3倍ほどです。そして、日本からお邪魔して、おいしいご飯を食べたり、観光したり、仕事したりという方々が2・5倍。これも3倍くらいになっています。もともと韓国のお客様と台湾のお客様が多かったのですが、今は中国大陸のお客様が次第に増え、100万人近いお客様にご利用いただいています。我々としてもうれしい限りです。もちろん、成田空港以外の空港にも80万、90万という人が行っていますから、ずいぶん多くの中国の方々が日本へ来てくれています。
去年、北京オリンピックがあったわけですけれども、我々としても成功していただければと思い協力させていただきました。トランジットで成田に立ち寄ってから北京へ行かれた外国の選手もいましたし、日本の選手団1200人が成田空港から出発されました。それプラス観衆がお邪魔させていただいたのです。来年、上海万博があるので、これも盛り上がるのではないかと思っています。もちろん北京オリンピックの時には国民も政府の方もものすごく力を入れて盛り上げました。素晴らしいことだと思います。ただ、オリンピックが終わってから、世界的に経済が悪くなり、そういうことから考えると上海万博のためには経済も早く回復しなければならないのだとは思います。
――よりよい日中の交流には何が必要だと思いますか?
中国は世界最大の人口を有し、いわゆる経済の中でも工業、ならびに農業の分野でがんばっておられて、日本も面積が小さいので農業の分野でも食糧を国内でまかないきれていません。海外に食を依存せざるを得ない状況で、約6割以上が輸入です。
食の問題で中国から食品が入らなくなってきて、中国と日本政府の問題が解決しない。これは早くどうにかしなければなりません。単に食品の輸出入の問題ではなく、食の安全が確保されれば旅行者も増えるでしょう。ちょうど日本への旅行者が増えてきた頃に食の問題が取りざたされました。
マスコミの方にも申しておりますが、そこまで「大変だ」とばかり騒ぎ立てず、最も大切なのは中国政府も日本政府も、中国の民間企業も日本の民間企業もお互いにより信頼関係を高めていけば、よりよい結果になると信じます。成田空港も直接の関係があるわけではありませんが、成田空港としても中国の
お客様というのはもちろん人数も急ピッチで増えているということと、それから我々は飛行場を管理運営しているだけでなく、グループとして免税売店などの店舗運営もしていますので、中国の方々が増えれば店舗での売上げも増えるというメリットもあります。中国の方々はかなりよい買い物をしてくれています。
中国のお客様が増えると我々もハッピーです。「食はもう安全なのだ」宣言することや、あるいはもっと踏み込んでお互いの政府が確認しあって安全な場所で食べていただく、風光明媚な場所もきちっとセキュリティーをよくするということを大々的に宣伝すれば人が戻ってくるのではないかと思います。これを誰かがやらなければ戻ってくるスピードが遅くなってしまうでしょう。
経済危機だからと萎縮してはいけない
――世界的な金融危機ですが、成田空港での景気はどうですか?
それは大変な金融危機ですから困っています。物流・お金・情報の流れが少し細くなってきているのです。これが太かった時には、中国・アメリカ・ヨーロッパと互いに信頼し合い、太い流れを築き上げてきました。これがお互いに不安になり、経済も悪いので我慢しようということで、交流が弱くなっているのです。経済恐慌などの問題が起こっている時はしょうがないと思いますが、長く続いてはいけません。できるだけ早い次期にこの信頼を回復しなければいけません。現地でも存分に食べており、ギョウザも問題ない、日本にも輸入するというように、中国側もいいものを作ると約束することです。その上で政府の承認を得て進めていくべきでしょう。民間だけでなく政府間の協力も必要です。
政治的にもここ数年、日中はいい方向に進んでいますし、経済でも生産の大きな拠点は中国にあります。逆に中国も日本の技術を使い、中国独特の技術も使って工業化を進めておられるわけです。そういった意味から言うと、中国と日本あるいは中国と外国の関係はもっともっと太くなってもいいと思っています。経済危機だからといって萎縮してはいけません。
――私は20年ほど前初めて日本に来ましたが、その時は中国語の標識などあまりありませんでした。それが今では空港内のどこを見ても中国語の表記があります。
そうなのです。大陸の中国語簡体字版と台湾の繁体字版の空港案内を作っています。二つもあるのは中国語だけです。先々はスペイン語版もつくろうということになっています。表示だけでなく、案内スタッフも雇っていますので、中国語でご案内もできますし、インターネットのホームページも中国語で見ることができます。入国管理や出国管理、そして税関でも中国語がしゃべれる方が増えていますし、その助けになるように我々のスタッフも配置しています。
中国のお客様には気持ちよく使っていただいているのではないかと思います。逆に、英語圏の方々からは、もっと英語をしゃべれる人材を配置してほしいというお言葉をいただいています。
とはいえ、すべてできるわけではありませんから、お客様の利便性を重視して「心の通うサービス」を実践していこうと考えています。
深まる日中の交流
――――森中社長は以前、住友商事に勤めていたということで、よく中国にも行かれたと思います。中国重視という考えも、森中社長が就任してからのものでしょうか?
そうではありません。この10年間、成田空港は中国のお客様を重
視しています。公団の時代から、民営化された今に至るまで、中国との交流をしっかりやっていこうというのは成田空港の一つのポリシーとしています。私が来てから増えたというところも多少はあるかもしれませんが、前々からやっていることです。
台湾や香港なども含めて中国の17カ所と結ばれています。※これからも増えるでしょう。成田空港と結ばれている都市が全体で100都市ほどですから、つながっている都市の数では一番多いのではないでしょうか。
今、二つある成田空港の滑走路のうち短いほうを2500メートルに延長しようとしています。これが完成すると、現在年間20万回の離発着が10%に当たる2万回増えます。
中国と日本政府がこれから交渉しますが、相当中国からの便が増えると思っています。もちろん羽田に入る便も増えるでしょう。
そういう意味で来年の3月末以降、成田空港と結ばれる中国の都市は二つか三つは増えると思います。ちなみに中国の航空会社は9社が成田空港に就航しています。
お客様ももっと増やさなければなりません。ですが旅行者では、韓国の方のほうが多いのです。年間で言うと韓国から日本へ来る方も、日本から韓国に来る方も250万人ほど、計500万人が日本全体として往来しています。中国とはまだ、三百数十万人ほどです。1000万人くらいはいってほしいです(笑)。
インタビュアー:『月刊中国NEWS』 編集長 張一帆
『月刊中国NEWS』 09年4月号掲載
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