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第33回 株式会社 島津製作所 服部重彦会長



ウルムチや雲南など中国の内陸部にまで支店を持つ島津製作所は、現在すでに中国でも有名な企業となっている。その理由は一体どこにあるのだろうか。 そのなぞをひも解く鍵は現地化にある。部長クラスはすべて中国人であり、研究開発も中国で行なう。服部重彦会長は言う。「島津の中国ではありません。中国の島津です」と。日本の島津の中国現地法人という感覚ではないのだ。そして服部会長は中国の社員にこう言い放つ。「いつあなた方は日本の島津を超えるんだ」と。島津製作所は特徴にあふれる企業だ。インタビューでは、中国の島津が日本の島津を超える日も近いと思える様々な取り組みを聴くことができた。


中国の島津が日本の島津を超える日は近い

――服部会長は9月3日、吉林省で開かれた第13回「日中経済シンポジウム」で発言されました。特に印象に残っているのは、日本と中国の環境問題について統一の基準を作りましょうと呼びかけたことです。この発想はどこからきたものなのでしょうか?


世界統一基準化は携帯電話などあらゆる分野で、そもそもヨーロッパが主導的に行なっていることです。一方でアメリカは無頓着ですが。 ですから、アジアが中心になって決めた標準を世界に広めるようなことがあってもいいのではないか、と考えたのです。そういったものは現在一つもありません。GDPに関しては現在、中国が2位で日本が3位です。この両国が協力すれば、世界標準を作ることは可能なはずです。特にどの分野なら可能性があるかと言えば、食品安全と環境だろうと考えられます。食品分野では、中国で加工された食品が世界中に輸出されています。また、環境に関しては、中国も努力をしている最中で基準を定めるのは難しいですが、日本にはかつて環境問題で苦労した経験があるので、これは効果的に進められるものと考えています。ですから日本と中国は協力できると思うのです。「食品安全」と「環境問題」には国の境がありませんから。 日本にある国連大学では、10数年間、日本・中国などアジアの国々11カ国の大学と連携し、環境に関して同じサンプルで同じ研究をするということをしています。島津製作所はここに機器を提供したり、トレーニングしたりしています。ですが、世界の標準を示せるところまでは行っていません。 私は分析関係の技術者の出身で、若いころ日本の環境問題がひどかった時代、自分で現物を分析したこともありました。そういった経験と、今回の日中経済シンポジウムのテーマが「環境互恵」であったこともあり、基準という技術の基盤を整備する「基盤技術」について発言させていただきました。 日中統一の基準を作るには10年ぐらいはかかるでしょう。ですがそれは仕方がありません。すでに少しずつ、経済産業省では中国と一緒にできることは共同でやるように、個別のプロジェクトは始まっていますが、基本的には国全体でやるべきです。 今までは、原子力や石油プラントなど大きな産業だけに限った話が多いように思いますが、重要な「基盤技術」に関しても一緒に取り組むべきでしょう。


 

駐在員から始めた中国での50年

――島津製作所と中国のつながりは非常に深いですね。


はい。1956年に見本市に出して周恩来氏と会見し、それから54年経ちます。1956年から1980年までの約25年間は、会社を作ることができませんでしたから、駐在員を北京に派遣し、販売した機械のアフターサービスなどにあたりました。1980年には北京支社を設立し、90年以降は中国の人々を次々と採用して、その後は独資で展開しました。2000年以降は中国人幹部も急速に増え、今も8人ほどいる事業部長はすべて中国人で、トップの総経理だけが日本人です。中国では人脈を大切にしています。そこがアジア的でアメリカとは違うところですが、一つ日本と中国が大きく違うところは、アメリカと同じ個人主義であるところです。教育しても辞めてしまう。転職を繰り返すのです。 ここ4年ほど、広報誌や教育に力を入れていまして、優秀な中国人社員も増えていますが、中国の人々からすると教育は自分の付加価値を上げるものというイメージが強いようです。ですから、島津製作所に行けば勉強ができると考えているのかもしれません。 中国にはこういった「人脈を大切にする」「個人主義」という二つの特徴があります。 特に離職率の高さは苦労した部分です。現在では事業部長クラスは給料も良く転職の心配はありませんが、入社して3、4年までは転職が多いです。ただ、これは中国全体に言えることなので、これによって不利益があるとは考えていません。しょうがないことなのです。ですが最近では良さもわかっていただけるようになってきたと思います。


中国での激しい競争

――中国での欧米系との価格競争は激しいですか?


激しいです。ここ10年ほど欧米系とは熾烈な争いをしていますが、ここ3、4年は中国の企業が非常に力をつけてきていて、ハイエンドでは欧米系と、ミドルとミドルローでは中国企業との競争になっています。島津製品のミドルローに比べて、中国企業の製品は値段が半分ほどなので、非常に厳しい状態です。ですから最近では中国人の技術者を雇って開発しています。それでも同じようなものができているのです。 私がなぜ4、5年ほど前、中国の製品を中国の技術者に作ってもらうことにしたのかというと、日本の優秀な技術者を中国へ送り中国企業の製品を調べさせると、「あれはたいしたことありません」と言ってきます。しかし、現に非常に良い売り上げを記録しているのです。日本の技術者ではダメだと思いました。 日本の技術者には安いものを開発する能力がありません。体に染みついている品質重視の姿勢が図面に表れてしまうのです。安く作るには耐久性や安全性を割り切って考えなければいけません。スペックもカットして、使い方もある程度限定し、極端な話をすれば、機械が20年も動かなくてもいいじゃないか、ということです。 我々はアメリカに追いつくまでに20年かかりました。中国はこれを5年から10年でやってしまうでしょう。我々の分野は医療機器と分析装置であり、特殊な分野ですが、それでも中国企業の進歩は速いです。



――やはりメイド・イン・ジャパンを買い求める中国企業は多いです。

ですが、これも昔の話をすれば、以前日本のお金のある企業はアメリカの商品を買っていました。お金のない企業が島津の製品を買っていたのです。半額ほどの値段しかしませんでしたから。中国でもお金のない企業は多いので、中国製の需要は大きいといえるでしょう。


 

環境問題対策はまず「水」から進む

――環境にかかわる機器を数多く生産していますね。


 我々は「測る」ことと「見る」ことを仕事にしていますから、大気や水を計測する機械を生産・販売しています。中国もまた日本などと同じように、「水」「大気」「土壌」の順で対処していくでしょう。水は人が直接口にするので重要ですが、大気は目に見えません。また、土壌は影響を及ぼすまで時間がかかります。 2008年、突然浙江省から2000台近い水質指標の一つであるトータル・オーガニック・カーボン(TOC)を測定する装置の発注があり、納品が大変だったのを覚えています。中国は省によって環境に対する投資の仕方が違います。他の省でも大量の発注があると予想していましたが、そうでもなかったので。省による裁量が大きいのでしょう。環境はものすごく大きなマーケットです。 大気に関しては、NOX(窒素化合物の総称)とSOX(硫黄の酸化物の総称)という指標があります。要するにこれを減らせばいいのです。そういう装置は数多くあります。そこに投資できるかどうかです。国の補助金が必要でしょうから、いずれ中国政府は取り組むようになると思います。自動車のガス排出量にも注目していますし、5年ほどすれば日本と同じような状況になるのではないでしょうか。 土壌に関する機器は現在、日本でとても良く売れています。アメリカでは15年ほど前から、売却する土地の土壌を分析しないと売ることができなくなっています。現在は日本でもそうです。ガソリンスタンドなどは大変で、調べて汚染が確認されればクリーニングしなければいけません。 水や大気の汚染などの測定装置は弊社の売り上げの55%ほどを占めます。我々が力を入れて工場を作ったのは蘇州で、現在2カ所の工場があります。中国のビジネスで言うと売上高が3億5000万ドル(約288億円)ほどです。最初はコストを下げるために中国で生産しようということになったのですが、我々は特殊な分野で材料の問題もあり、人件費など全体の15~20%ほどしかコストは下がりません。それでも価格が下がって多くの人が買ってくれるようになったのですが、ここ数年、半額近い価格の中国企業の製品が販売され、開発も中国でということになったのです。また、医療機器も我々の分野です。 中国での社員は1250人ほどいますが、製造は450人程度です。他は全員、営業・サービス・マーケティング・サポート・技術開発部隊です。蘇州にあるのは分析の工場で、北京に医療機器、天津にフォークリフトやクレーンに用いる油圧機器の工場があります。また、浙江省の寧波には真空炉の工場があります。 こうやって製造ラインを増やしてきましたが、現在は大きな曲がり角に差し掛かっています。価格をもっと下げるためには現地で調達し、設計も変えなければいけません。これは日本企業すべてにいえることです。こういった努力をあきらめる企業に中国ビジネスの成功はないでしょう。

 


服部重彦 はっとり・しげひこ

株 式 会 社 島 津 製 作 所

代 表 取 締 役 会 長

昭和16年8月21日生(69歳)



職歴


学 歴 昭和39年 3月   山梨大学 工学部 卒業

職 歴 昭和39年 4月 株式会社 島津製作所 入社

平成 元年 1月   シマヅ サイエンティフィック インスツルメンツ インク社社長(米国駐在)

平成 5年 6月   取締役就任(米国駐在)

平成 9年 6月   常務取締役就任

平成15年 6月   代表取締役社長 就任 

平成21年 6月   代表取締役会長 就任

現在に至る

主要団体役職歴(現在就任中)


平成19年 5月 (社)日本分析機器工業会 副会長

平成20年 6月 (社)日本画像医療システム工業会 副会長

平成21年 5月 (社)京都工業会 会長


賞 罰  平成19年 4月 藍綬褒章 受章



インタビュアー:『月刊中国NEWS』 編集長 張一帆


『月刊中国NEWS』 11年01月号掲載

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